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オオタカと 八王子城 |
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1.オオタカの営巣を発見 @オオタカの営巣木は1996年3月に発見、八王子城跡搦め手の圏央道八王子城跡トンネル坑口から約220b真上の雑木林の中にあった。 A圏央道工事開始の直前だったので、当時の建設省に「オオタカの生態調査」の実施を申し入れた。 B建設省は、地元のオオタカ保護団体との共同調査を執拗に拒否して、この年の7月から調査を始め、11月に独自の「圏央道オオタカ検討会」を設置した。 C建設省は、1998年1月と10月に調査結果の概要と保護対策を記者発表した。 内容は、まず「工事ありき」で、オオタカの保護よりも圏央道建設を優先したものであった。 |
| D「八王子・城山のオオタカを守る会」は、独自に18ヶ月間連続した調査を実施し、「オオタカ生態調査のまとめ」として小冊子を発行した。 E「守る会」の調査結果では、圏央道トンネル坑口はオオタカの行動圏で非常に重要な「営巣中心域」であることが判明した。 F環境省のガイドライン「猛禽類保護の進め方」では、「営巣中心域」では道路の建設などは避ける必要があると規定している。 G「守る会」の忠告やガイドラインを無視して工事を進めたため、1999年から巣立ちする雛が3羽から2羽に減少し、2002年からは5年間連続して営巣を放棄している。(2006年現在) |
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2.オオタカはどんな鳥か @オオタカの和名は「蒼鷹」で体躯はカラス大である。「タカ」はワシタカ科の鳥のうち中型及び小型のものの総称で「ワシ」との区別は大きさによるもので分類上の区別ではない。 Aタカ類はメスのほうが大きく、日本にはノスリ、クマタカ、チュウヒ、オオタカ、ハイタカ、ハチクマ、サシバ、トビ等が生息している。 Bオオタカは、生きた野鳥を捕獲して食べる猛禽類で、八王子城周辺ではドバトやカケス、ヒヨドリなどを捕食している。子育ての後半になるとヤマドリ、コジュッケイ、サギなど大型の鳥も雛に与えている。 |
| C繁殖は年に一回で、卵は4〜5個産み、春から夏にかけて子育てを行う。 Dオオタカは「環境指標生物」と言われている。 肉食の猛禽類が生息していることは、オオタカなどを頂点として食物連鎖が豊かに機能していることを証明している。従って、巣立ちする雛の数が多いほど自然が豊かだと言える。 Eオオタカは、レッドデーターブックで「絶滅危惧U類」にランクされ「種の保存法」は「国内希少生動植物種」に指定して法律で保護を義務付けている。 |
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3.北条氏照とオオタカ @鷹狩りを好んだ戦国の武将として信長や家康がよく知られているが、氏照もその一人であったようだ。 氏照23歳の時、永禄5年(1562)4月14日には支配下としたばかりの旧三田氏領一(いつ)原(はら)(奥多摩町日原)の原島右京(うきょう)亮(のすけ)に対して5月1日・2日の内にハイタカを持参するよう命じ、又新たなハイタカの巣づくりをも確保するよう命じている。 A外交上手な氏照は天正7年に信長に鷹3羽を送り誼みを通じ、翌8年には京都本能寺にあった信長に対し、本格的外交を始めて兄氏政の使者と共に重臣の間宮若狭守綱信を使者にたて鷹を始め大量の土産物を持たせている。 若狭守は帰途完成なって間もない安土城に招かれ、このときの印象を後の八王子城の大改修に築城奉行の一人として活かすこととなる。 Bこのときの鷹は鶴、真鶴、コウノトリ、を専門に捕獲する鷹と乱取りという何でも捕らえる鷹あわせて13羽である。 C信長の在所まで鷹を届けるのには鷹の餌となる新鮮な肉を必要とする。そのため職業として鷹の餌を捕る「餌(え)指(さし)」が同行していたと考えられる。 |
| D「徳川家康へも鷹を送る」 天正7年正月、徳川家康とも外交を始めて、太刀一腰、馬一疋、青鷹一鳥屋と書状を送り、誼を通じており、その後家康とは甲斐を争うが天正10年には同盟、北条氏直の夫人に家康の次女、督姫が嫁入りする。 E当時は体の大きい秋田の鷹が珍重されており、武将お抱えの鷹匠は競って秋田に鷹を求めたようである。この時は、犬を連れて行き帰路その犬の肉を与えながら鷹を連れ帰ったと伝わる。 F鷹狩りの歴史は、約4000年前に中央アジアに起こり、モンゴル、シベリア東部、中国、インドなどで発達した。 日本では、仁徳天皇の時代(355年)に百済から伝えられたといわれる。(日本書紀)群馬県で、この時代のものと推定される鷹匠埴輪が出土している。 |
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